松川浦の後は、南相馬市 原町のデイさぽーとぴーなっつさんへ。所長の郡さんから震災当日からのお話しを伺った。
すぐ裏(数百メートル)のところでは、津波の被害が大きく、すごい被害でしたが、そのことを知ったのは、後から。地震の対応に負われていたそうです。
また、地震後、送迎に行った車は、職員の間一髪の判断で津波の被害にあわず。だったそうです。
それからは、原発被害。この作業所は、原発から半径30km以内。避難するもしないも自己判断。
原発の影響から救援物資の車も入ることができず、郡所長曰く「兵糧攻め」だったとのことです。
そんな状況の中、県などからも開所しないように告げられ、1カ月休業したそうですが、日割りで給付金のつく自立支援法施設。その間のお金は国からも入らず。。。職員は、家庭のこと中心な方といても立ってもいられず、避難所をまわったり、利用者の様子を聞いたりしていたそうです。1カ月経った中、集団生活の苦手な障がい者たち。親戚の家や避難所でもうまく過ごすことができず、県外では風評被害のため受け入れてもらえず、また、要援護者は、30km圏外に出ないといけないのですが、障がい者は当てはまらず、病院などの医療機関のない街で過ごさなければならない方がほとんどだったのです。そんな状況から、必要性にかられて作業所を今でも開設しているそうです。
地域の作業所のお手本でした。
2カ所で行っている作業所の1ヶ所が解体したため、手狭になっているぴーなっつさんにコミュニティーモールinくるみの売り上げの一部を有効に活用していただきたいとお渡ししてきました。
これからも、情報交換しながらつながっていきたいと思っております。